『大和物語』姨捨(156段)

大和物語とは?

平安中期の歌物語。作者は不明。約173段から成る。

名前の由来に関しては様々な諸説があり。中国に対しての大和(日本)。または、伊勢という地名に対して大和。どれもはっきりしていない。

『伊勢物語』同様ジャンルは歌物語である。昔男の一代記という形ではなく、主人公がさまざま。その分、いろんな人間像が描かれる点で魅力的な作品になっている。

「姨捨」(156段)のあらすじ

舞台は長野県の更級。男の親は若い時に亡くなってしまったので、おばが親のように育ててくれた。妻の心は感心できないことが多く、このおばが意地悪な性格であることを男に言い、山に捨てて欲しいと話す。月の明るい夜、男はおばを連れて山を登りおばを置いていくことにする。帰ってから月を眺めていると眠れず、自分のしてしまったことを後悔し、連れ帰ることになった。

「姨捨」(156段)の本文

信濃の国に更級といふ所に、男住みけり。若きときに親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くよりあひ添ひてあるに、この妻の心、憂きこと多くて、この姑の老いかがまりてゐたるを常ににくみつつ、男にも、このをばの御心の、さがなくあしきことを言ひ聞かせければ、昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。このをば、いといたう老いて、二重にてゐたり。これをなほ、この嫁、所狭がりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことを言ひつつ、「持ていまして、深き山に捨て給びてよ。」とのみ責めければ、責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。

 月のいと明かき夜、「嫗ども、いざ給へ。寺に尊きわざすなる、見せ奉らむ。」と言ひければ、限りなく喜びて負はれにけり。高き山の麓に住みければ、その山にはるばると入りて、高き山の峰の、下り来べくもあらぬに置きて逃げて来ぬ。「やや。」と言へど、いらへもせで逃げて、家に来て思ひをるに、言ひ腹立てける折は、腹立ちて、かくしつれど、年ごろ親のごと養ひつつあひ添ひにければ、いと悲しくおぼえけり。この山の上より、月もいと限りなく明かくて出でたるを眺めて、夜一夜寝も寝られず、悲しうおぼえければ、かくよみたりける。

  わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て

とよみてなむ、また行きて迎へ持て来にける。それよりのちなむ、姨捨山といひける。慰めがたしとは、これがよしになむありける。

「姨捨」(156段)現代語訳

 信濃の国に、更級という所に、ある男が住んでいた。若いときに親が死んでしまったので、伯母が親のように、若いときからつき添って世話をしていたが、この男の妻の心は、困った点が多くて、この姑が年をとって腰が曲がっているのをいつも憎んでは、男にも、この伯母のお心が、意地悪くろくでもないということを言い聞かせたので、(男は)昔のとおりでもなく、この伯母に対して、おろそかに扱うことが多くなっていった。この伯母は、たいそうひどく年老いて、(体が折れ重なるほど)腰が折れ曲がっていた。このことをいっそう、この嫁は、窮屈で厄介がって、今まで死なずにいるとはと思って、(男に)よくない告げ口を言っては、「連れていらっしゃって、深い山奥に捨てておしまいになってください。」ともっぱら責めたてたので、(男は)せき立てられるのに閉口して、そうしてしまおうと思うようになった。

 月がたいそう明るい夜、「おばあさんよ、さあいらっしゃい。寺でありがたい法会をするということ(ですから、それ)をお見せ申し上げよう。」と言ったので、(伯母は)このうえなく喜んで背負われてしまった。(男は)高い山の麓に住んでいたので、その山にはるばると入って行って、高い山の峰で、とうてい下りて来られそうもない所に(伯母を)置いて逃げて来てしまった。伯母は「これこれ。」と言うけれども、(男は)返事もしないで逃げて、家に来てあれこれ考えていると、(妻が)告げ口をして腹を立てさせたときは、(自分も)腹を立てて、このようにしたけれども、長い間母親のように養い続けて一緒に暮らしていたので、たいそう悲しく思われた。この山の頂上から、月もたいそうこのうえなく明るく照って出ているのを(男は)もの思いにふけって見やって、一晩中寝られず、悲しく思われたので、このようによんだ。

わが心……私の心を慰めることはできない、更級の姨捨山に照る月を見ていると。

とよんで、また行って(伯母を)迎えて連れて戻ってしまった。それからのち、(この山を)姨捨山といった。(姨捨山を引き合いに出して、歌などに)「慰めがたい」(ことの縁語に用いる)というのは、このようないわれなのであった。

ひつじ先生より解説

 嫁と姑の問題を扱った話。いつもこの授業をしているとき、「もし、結婚した相手が自分の親の悪口を言ってきたらどうする?」と問いかけるようにしている。なかなか想像のつく話ではないので、生徒はなかなか答えを出しづらい様子だが、古典を読むことで、現代のテーマを考えるきっかけに繋がる。改めて古典を学ぶ意義を考えさせてくれる。
 少し、調べてみると、ある年齢を越えると働くことのできない年寄りを山に捨てにいく村のきまりがあった地域も歴史の中であったようである。貧困になった時、働くことができない老人を捨てなければいけない、、、、考えるだけで苦しくなる。ひょっとしたらこの話に出てくる妻も、生活のためにはどうしようもない状況があったのかもしれない。妻がだけが非難される立場ではないかもしれない。

まだまだ面白い『大和物語』生田川の話

 他にも『大和物語』には非常に悲しい話であるが、面白い話がある。1つだけここでは紹介する。

二人の男に熱心に求愛されたが、ついに川に身を投げて死ぬ生田川の話。

津の国に住む 一人の娘を、同じ国の男と、和泉国の男とが、熱烈に愛して、結婚を申し込んでいた。二人の男は年かっこうも、顔も、身分も、ほとんど同じくらいだった。娘も、娘の親も決めかねて、当惑していた。ついに娘の規が、「この川に浮きて侍る水鳥を射たまへ。それを射当てたまへらむ人に(娘を)たてまつ らむ」と提案をした。

二人の男は「いとよきことなり」と言って、生田川の川面に浮かぶ水鳥を射る。一人の 矢は水鳥の頭に立った。もう一人の男の矢は尾を射た。娘は、

「住みわびぬ わが身投げてむ 津の国の 生田の川は 名のみなりけり」

(この世に住むのがいやになってしまいました。わが身をこの川に投げてしまいましょう。 思えば、津の国の生田の川は、「生きる」なんて名前だけだったのですね)

という歌を詠んで、川にずぶりと身を沈めてしまう。すると、二人の男も娘のあとを追って同じ所に沈んだ。なきがらを引き上げてみると、一人の男は娘の足を つかまえ、もう 一 人は手を握って。死んでいた。人々は娘の墓をまん中に、左右に二人の男の墓を築いたという。

実はこの話はまだ続くのであるが、二人同時に好きな人に言い寄られた時どうするか、、、、悲しい結末であるが、「もし自分だったら?」を問いかけるきっかけになる話である。

 

 

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