『鏡』−村上春樹はどう教えられているかを考える。−Part1

ひつじ先生より

私は、高校生のころから、村上春樹作品に惹かれ読み漁りました。教員になって10年目ですが、本日より、村上春樹作品が高校現場でどう教えられているのか、少しだけまとめて行きたいと思います。どちらかというと授業形式ではなく、コンテンツをまとめていくことが中心です。ひょっとしたら、今年ノーベル賞受賞の予想されています(毎年ですが)。10月10日の発表まで、できる限り少しずつ発信していきます。村上春樹の持ち味は、長編小説にあると思いますが、ここでは、これから村上春樹作品を読もうかな、というきっかけづくりになればと思います。

村上春樹ってどんな人??

ここではポイントのみ紹介します。

経歴

・1949年 京都府生まれ

・1979年『風の歌を聴け』で群像新人賞受賞

・1985年『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で谷崎潤一郎賞受賞。

・1987年『ノルウェイの森』が400万部のベストセラーに。

・1997年 ノンフィクション『アンダーグラウンド』刊行

・2009年エルサレム賞受賞 「卵と壁」のスピーチ

・2017年 『騎士団長殺し』刊行

 

まだまだ書ききれないぐらいの作品があります。

どんなテーマの作品かといえば、ものすごくざっくりいえば、

 

現代社会に生きる個人と大きな体制(システム)

 

 

です。何だか、難しそうな感じがしますが、大きな体制に対して、登場人物がどのような考えを持っているかを考えることが読み解く上でポイントになりそうです。

村上春樹の生活に関しても、まだまだ語りたいことがありますが、別の機会にします。

『鏡』のあらすじ

この作品が実は、一番教科書に多く採用されています。私が今年度使用している教科書(第一学習社)でも掲載されています。

あらすじ

みんなで順番にそれぞれの体験した怖い話をしている。「僕」は一度だけほんとうに怖いと思ったことがある。それはこういう話だ。「僕」はかつて高校を出てから、中学校の夜警をしていたことがある。十月の風の強い夜、三時に「僕」はその日の三度目の見回り に出かけた。すると突然、暗闇の中に何かを見たような気がした。「僕」はぞっとしたが、 よく見てみるとそこには 「僕」がいた。つまり、それは鏡だったのだ。ばかばかしく思っ たが、後で妙なことに気づいた。それは 「鏡の中の僕は僕じゃない」ということだつた。 そして、事実そこには鏡なんて一度も存在しなかった。

 

作品の設定

この小説の設定

主人公…30代の男

語りの現在…回想される場面から10年以上経った1980年代ぐらい

舞台…主人公の家 怪談話をする

回想シーンについて…1970年代はじめ 高校卒業から2年目

 

村上春樹のコメント

この『鏡』という作品について『はじめての文学』(文藝春秋・2006年)では、以下のようにコメントしている。

これも短編集『カンガルー日和』の中に収められている作品だ。僕はそのころ、一度「怪談」みたいなものを書いてみたいと思っていた。心の感じる「恐怖」を文章でどんな風に切実に描写できるか。そういうことに深い興味をもっていたのだ。だから試みに短い怪談的なものを書いてみた。僕の友達でアルバイトに中学校の夜警をやっていた男がいて、彼が以前話してくれたことを思い出しながらこれを書いた。でももちろん彼が実際にこんな恐ろしい体験をしたわけではない。鏡の部分はすべて僕の創作である。恐怖について書くことには今でも興味を持っているし、実際にことあるごとに書き続けている。

「恐怖」というテーマで書いてある作品は、『レキシントンの幽霊』がある。この作品は、初期のころの作品。

おすすめの文

 

まるでまっ暗な海に浮かんだ氷山のような

 

直喩。村上春樹は比喩表現が巧み。

→真っ暗で見えないということは、計り知れないくらいの様子を表している。

ところで君たちはもうこの家に鏡が一枚もないことに気づいているよね。鏡を見ないで髭が剃れるようになるには結構時間がかかるんだぜ、本当の話

 

→僕が自分自身と向き合うことから逃避している、とも捉えることができる。

考えてみよう

・鏡が象徴する恐怖とはいったいなんだろうか?

・自分にも主人公と同じような経験はないだろうか?

ひつじ先生より 

ツイッター上で、「#文学愛を語ろう」というタグで、みなさんに少しずつ「愛」を語ってもらっています。正直、この『鏡』という作品は、自分としてはまだまだ魅力的な部分を引き出せていないのが正直な気持ちです。

「恐怖」というテーマで設定するなら、「夜」で「学校」というよくありえそうな設定で、しかも「鏡」に映った自分が別の「もう一人の自分」という展開、これもよくありえそうな気がします。

ただ、重要なのは、この「よくありえそう」という書きぶりが、読者に対して、同じような恐怖を感じる仕組みになっているのです。

ぶっとんだ設定で非現実な内容なら、だれも「恐怖」というものを感じることはないはずです。その点、村上春樹は読者がどのような設定なら「恐怖」を感じる文章になるだろうか、と想像して作品に仕上げたのだと考えられます。また、主人公が最初に本題を語る前の語りが、読者にこの話が「もしかしたらあるかも??」と思わせる、書き方になっています。

だからこそ、教室空間では、生徒の「恐怖体験」を語らせたいものです。

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