高校生一番はじめの「随想」教材について考える〜「驚くという才能」を例に〜

はじめに

先日は、記事をお読みいただきありがとうございました。

さて、4月になり、新年度もスタートしました。

地域によっては、予定通り進まない学校もあるかと思います。

私の勤務校も現在休校中です。

本日は、高校生の授業で最初に扱う「随想」教材についてお話ししたいと思います。

多くの「国語総合」の教材では、「随想」という単元が最初に設定されています。

そもそも、「随想」とは何なのか、という話になりますが、

これは幅広い意味で言えば、「評論」というジャンルに属します。

ただ、筆者の感性や独自の視点から語られる思いの文章であり、身近な話題が話の核になることが多いです。

随想・随筆・エッセイはほぼ同じ意味と捉えてよく、使う人によって意味が微妙に違うので注意が必要です。

新学習指導要領では、実際に「随筆」を書くという言語活動もありますから、生徒の「書く」という活動を意識した授業創りが必要だと思われます。

さて、実際には、どんな教材があるのか、見ていきたいと思います。

高校で最初に学ぶ「随想」教材の特色は、

これからの高校生活の学習やあらゆる活動の始まりにふさわしい教材になっています。

これから、高校生活を送るにあたってぜひ読んでもらいたい、そして高校生に対してメッセージ性がある教材収録になっています。

これまでに扱った作品を思い出してみても

小関智弘「独創を生む条件」

外山滋比古「知的創造のヒント」

でした。かつての教科書です。

共通しているのは、高校生活で「創造力を発揮して生活しよう」という内容でした。

その他の教科書を見ても

茂木健一郎「最初のペンギン」なども、「未知の世界にジャンプしよう!」という内容です。

いかにも、高校生活をこれからどう過ごすべきか、ある意味“道徳的“内容が盛り込まれた教材が多いです。

今年度、私が扱う教材は清水眞砂子さんの、「驚くという才能」という教材です。

この教材にも、そういった“道徳的な”内容が含まれています。

「評論文」で論理的な構成をきっちり教えるというよりは、

まずは文章を読むことに対して親しもうという思いが込められているのではないかと私は思います。

では、何を目標とするか。

そのため、何を目標としていくべきか、評論文入門期のガイダンスでお話した内容は重要ですが、あくまでここで扱う教材は、高校生になってはじめて出会う文章ということを忘れてはなりません。

もちろん、これから評論文を読解するためには、どんなことが必要になるのか、そのお話は適宜いれつつ、一番、重要だと思うことは、文章を読むことって面白いんだ、そう思ってくれるように導いていくことです。

指導書の一部を引用から魅力を読む

清水眞砂子さんは、児童文学者であり、翻訳家です。『ゲド戦記』シリーズの翻訳でもよく知られています。この教材の文章の中の引用を見ても、自身の研究分野に関連があります。ちなみに、この教材の出典は本の虫ではないのだけれど―日常を散策する〈1〉 (日常を散策する 1)

です。もしよければ。

授業では、著者がどんな研究をされる方なのか確認しつつ、どういうところに教材の魅力があるかを指導者が理解して授業をしていく必要があります。

指導書の「表現」の部分を一部引用しながら、扱い方に関して、話していきたいと思います。

指導書より抜粋

表現「驚くという才能」が持つ意味から説き起こし、「平和を生き延びる言葉と方法」について発展させていくというその意想外の飛躍が特徴的な随想である。

太字の部分に注目すると、こんな結論に結びついたのか、という「展開の面白さ」と「結論の意外性」にこそこの作品の魅力があります。

どんなエッセイを読むときでも、私が生徒に伝えていることは、

ものの見方やエピソードの切り取り方や発想力の斬新さこそがエッセイを読む上での最大の愉しみであると伝えています。

同じ事実であっても、それに対する考えや発想は人によって違います。作家や研究者であれば、その考えや発想が人とは違い独自なものであることが多いです。

私のような、凡庸な人間はいつもエッセイから学ぶことが非常に多いのです。

今回の「随想」では、「驚く」という誰もが経験したことがあるキーワードから、大人になると「驚く」ということが少なくなり、ゆくゆくは「戦争」に繋がると話を展開しています。詳しくは段落ごとに見ていきましょう。

第一段落から第四段落まで

第一段落 指導書抜粋

構成的には、第一段落で「驚くという才能」について、幼児期には誰もが持っていたその才能が、成長過程で体験を積み重ねる中で、磨滅していき、もはやどこまでも退屈なが続いていくだけだと思念されるようになるという一般的な傾向を指摘する。

この段落では、まず一般的な価値観を示しています。評論文のガイダンスでもお話ししたように、その「一般的傾向」を押さえた上で、筆者の独自の考えを読み取ることの大切さを確認する必要があります。

ちなみに、形式段落と意味段落の違いについてもここでは、触れることが必要です。

第二段落 指導書抜粋

第二段落では、それを「だが」という逆接の接続詞で受けて、世の中は不思議に満ちているし、私たち自身の存在そのものが不思議なのだと展開する。ここまでの文章の流れはある意味定型的と言える。ここから、あらゆることに好奇心を持ち、そこでの発見の感動が大切なのだという主張の流れになるのが、よく目にする文章のパターンである。

二段落は読んでいて、よくありそうな展開のパターンであることを確認できません。

そういう場合は、教室の中で、「そうだよね。」と共感できる箇所は?と聞いてみると良いかもしれません。何気ない「問い」だが、文章に向き合う訓練になると私は思います

本文に出てくる「今は自分のことしか頭にないよ。」とか「もう少し目がパッチリしていたらとか」に関して、共感する生徒もいるかもしれません。それは、本文に向き合えている証拠ですので、授業ではそういう生徒の反応から広げていきたいですよね。

 第三段落 指導書抜粋

だが、第三段落で「退屈」というキーワードを持ち込んで、論の流れのストレートな道筋に変化球を投げてくる。その退屈な日常は人々にイベントを求めさせるが、それによって退屈を紛らせることはできても、解消されるわけではないと展開する。そして、そのイベントの究極の形は「戦争への期待」であると話の矛先を変える。 

私はこの「退屈」に関する筆者の捉え方が、この「随想」の魅力だと思います。

一般的に「退屈なら楽しいことをすれば解消される」って考えがちになります。

ただ、この「私たちに必要なのは、退屈を積極的生きようとする意志かもしれない」という筆者の言葉には、含蓄があります。ここは、ぜひ生徒に考えさせたい部分です。「どんな意志」なのか具体例を考えさせたいところです。その中で、生徒は、ただ「イベントを消費する」などの行為は望ましくないと考えるかもしれません。特に、今コロナウィルスの影響で、家にいなければならないとき、どのようにしたら、「退屈を積極的に生きる」ことに繋がるのか、それぞれの考えがでてきそうなところです。

第四段落 指導書抜粋

そして、第四段落で、平和な日常の退屈さに耐えるためには「驚くという才能」が不可欠だとして、「戦争の世紀の言葉と方法」に縛られている古い世代ではなく、「平和を生き延びる言葉と方法」を生み出し得るのは若い人たちだと、希望をこめたメッセージを送る。

文章の決まりきった定型的な展開の枠組みを突き破ろうとする筆者の筆さばきを読み取らせたい。

最終段落は、正直言えば、あまり論理的な書き方はなされていません。ただ、筆者の若い人に向けた積極的なメッセージが強く伝わる部分です。

「誰もがもっている驚くという才能は、必ずや平和を生き延びるための一歩を私たちに踏み出せてくれるにちがいない」

「驚き」に向き合ったときにもった「問い」は、手放さず、持ち続けなければならない。

きっと、ひょっとしたら難しく、苦しいことかもしれません。けれども、この筆者のメッセージは、これからの高校生活で何をすべきか、教えてくれます。

昨今、「探究的な学び」の中で、「問い」を作ることが重要視されています。そのきっかけづくりとしても、この教材は非常に魅力的だと思います。

生徒には、この最終段落で、ざっくりと

ここで筆者がこれからを生きる人にどんなメッセージを送っているのか、50字程度でまとめてみよう。という課題を出すのが良いかもしれません。

まだ、実践はしていませんが、改めてこの教材を授業で扱いたくなりました。

もしこの教材を扱う際に、何かのヒントになればと思います。

おわりに

本日は、高校生で最初に扱う「随想」教材に関して、授業創りのヒントを書きました。高校生で最初に教科書で学ぶ教材です。常々「良い出会いになる教材」にしたい。そして、「これからの高校生活への意欲づけ」になる授業にしたいなぁと思っています。

最初の出会いというのはとても大事です。まずは、「国語の授業って面白い」そういうスタートがしたいものです。

またご意見いただけたら幸いです。

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